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南高(第四高女)の戦災

 

 南高(第四高女)の終戦

 焼け跡に残った横川楳子先生の像と防火壁

 

 太平洋戦争末期の昭和2082日、B29爆撃機 170機の爆撃をうけ、八王子市の9割と共に本校は全焼した。

 焼け跡には、防火壁と横川先生の像だけが残っていた。

 

 瓦礫の山と化した焼け野原に、岩崎校長はじめ職員、生徒は、再建をめざして翌日から敵機を気にしながら、焼け跡整理を始めた。

 その間、敵機が飛んできて実弾を浴びせて行くこともあり、職員、生徒は物陰に隠れて難を逃れたこともあった。

 

 8月15日、終戦となり、ようやく敵機来襲を気にしないで、焼けつくような夏の太陽の下、釘拾いやトタン集めなどの作業を続けた。

 その後旧軍の壕舎をもらいうけて校庭に建て、それを拠点として、全校生徒が授業を受けることができるようになった。