カナダと日本と私 − 異文化に生きる

20100714

 

 

 田中 和子 (昭和40年卒) モントリオール在住

 

 

 

華道展の時の参加者と、会場のデイレクター(中央)と私(白いシャツをきています)

 

 

家族の写真(私を除く)

 

 

家族の写真(娘、義理の長男、主人、私)

 

家族の写真(娘と私)

 

 時の流れの中で、人の生き方も変わっていくようです。母国を離れ、カナダの東部、ケベック州のモントリオール市に在住し、異文化の中に生きて25年以上になります。

 カナダは、日本の25倍もある無限の自然に囲まれた広大な国です。私の住むモントリオール市のあるケベック州だけでも日本の5倍になります。この国に人口はたった三千万人ほどです。東部から、西部までは、飛行機で5時間半、車では1週間かかります。

 400年ほど前にフランスからの殖民で始まったこの国は、その後、イギリス領になったり、独立したりと支配が変わるたびに使われる言語も変わってきました。 現在使われている公用語は英語とフランス語ですが、実際にはケベック州だけがフランス語が主要の言語となり、他の州は英語が公用語といえます。言語や地理的な違いから、東西あるいは州によって, 生活様式や価値感は別世界のように違います。 それに加えて、移民の文化や隣接するアメリカの影響もうけ、複雑な文化的な背景をなしています。

 モントリオール市はフランスの影響を強く残し、エレガントな古い町並みはヨーロッパそのものです。ここに50ヶ国以上の移民がモザイク状に入り組み、それぞれの国民性を保ちながら、上手に暮らしています。英語と仏語のバイリンガルでコスモポリタンな町ですが、これに加えて母国語を話す移民も多く、3−4ヶ国語がどこでも聞かれます。 我が家のように、生まれ落ちたその瞬間から両親が違う言語で子供を育てる人も少なくありません。

 家族は、主人と私と娘の3人ですが、実際には、再婚の主人の先妻との間の2人の義理の息子も、生活は半分は一緒ですので、5人家族と言えると思います。私は、目つきも、毛色も違う第二の母として、義理の息子達と時を過ごしてきました。子供には国境などないのです。この義理の息子たちは、それぞれ結婚しました。長男は、Artificial Intelligence という統計学の分野の博士課程を先月終わり、大手銀行に勤務しています。次男は、環境学の博士課程の1年目を終えたところです。地球温暖化がケベックの森林に及ぼす影響を研究しています。1歳になる息子がいます。

 さて、私の娘ですが、私より、遥かに背は高く、主人に似たハーフです。文化人類学の修士課程を終わり、秋から、博士課程に入ります。フランス語、英語、日本語を完璧に話し、読み書きができ、それが、娘の研究に多いに役立っているようです。 研究は、日本の青少年犯罪です。日本の家族構成、社会構造、精神分析、政治構造を掘り下げ、青少年犯罪を探っていくものです。言語能力が研究に不可欠ですが、基本的には、フランスの教育で培われた、思考方法、分析方法なくしては、今の研究にはいたらなかったのではないかと思います。日本の社会が、ずばずばとフランス風のカルタジアンの思考方法で、分断されていきます。正に、娘の生き方の中にフランス、カナダ、日本が収縮されているように思えます。娘は、日本とカナダあるいは、欧米を一定の角度から眺めて生涯研究していくことと思います。その根底には、限りない日本への愛と理解があると言っても過言ではないと思います。それをいかに欧米に伝え、欧米の社会に役立てていくか、それが使命ではないのでしょうか。

 家庭では、私と主人はフランス語で話し、私と娘は、日本語で話す生活が25年近く続いています。義理の息子達ともフランス語ですが、たとえ全部集まっても、私と娘は日本語で話します。

 さて、主人ですが、パリ生まれの、パリ育ちのフランス人です。アフリカのタンザニアに5年居た後、モントリオールに移住してきました。本業は獣医ですが、剣道が三度の飯よりも好きという人で、七段で、マギル大学の剣道部の師範をしています。また、カナダ剣道連盟の副会長も勤めています。

 剣道への執着は、27年近く続いています。欧米の人たちには、階級社会の構造や、文化の差から、日本の伝統芸の正当性や深さは伝わりにくいものです。いかにして日本の伝統芸の深さを欧米で保つか、主人の心の中では、これが常に大きな課題です。

 こうした主人の剣道への情熱の実現の手助けや、家事の傍ら、私は、いけばな(古流松藤会)のいけばなを教えて20年以上になります。生徒たちは、モントリオールのモザイク状のコスモポリタンの性格を反映し、ケベックの英語系の人、フランス語系の人、フランス人、ドイツ人、スペイン人、ポルトガル人、ベトナム人、中国人、日本人など、実に様々です。多言語の飛び交う文化サロン、これが私の生け花教室といえるかもしれません。お稽古だけでなく、いけばなインターナショナルのモントリオール支部会長の職もつとめました。外人80人の組織をリードし、運営していくのは、日本人には少し大変でしたが、外人に太刀打ちする良い勉強にもなりました。

 いけばなを日本の文化のパノラマの中に存在する奥の深い日本の伝統文化の一つとして、欧米でいかに適切に伝えていくか考え続けてきた月日とも言えるかもしれません。実は、こうした私の入れ込みは、欧米人の質問好きな性格に追い討ちをかけられたからだともいえます。欧米人のずうずうしいほどの質問好き、「どうしてこうなの、何時からこうなの、何故こうなの」の絶え間ない質問には、応えざるを得なかったからです。そのためには、勉強をせざるを得ず、また、自分の考えを述べ、生徒達を説得をさせなければいけません。生徒達に鍛えられたともいえます。特にフランス人やドイツ人の生徒たちは、ひとすじなわではいきません。教育も高く、知識も深く、質疑応答は限界がありません。 反面、こうした状況は、いやがおうでも、私に日本を再確認する機会を与えてくれました。文化の深さを見直さざるを得なかったからです。 

 剣道であれ、いけばなであれ、日本の伝統芸は、稽古という形で、自己の修養をする大事な生き方を、世界各国の人たちに教えていく、大きな許容力を持っています。長い間、異文化に生きた経験は色々のことを教えてくれました。自分自身の国の文化を追求し、異国の文化への理解する寛大な心を持ち、お互いの文化を尊敬しあってこそ、本当の国際性を築き、世界に平和が保てるのではないかと思っております。